何様って感じの文章なので癇に障ってもおこったりたたいたりしないでください。
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全体的に傑作だった。エヴァンゲリオンでしかできないこと、庵野さんにしかできないことをやっているし、それが作品としてとても強度のあるものに仕上がっていると思った。
冒頭映像として公開されていた作戦や、エヴァや戦艦を使ってなにかの作戦を行うというシーンは全体的に退屈だった。映像的に退屈だったのかは分からないけど、目的に対して必死に取り組むキャラクターたちにどこか感情移入できなかったのが根本的な理由だと思う。そしてそれは、自分の中でエヴァンゲリオンとしてのストーリーがこの映画の肝ではないと感じたからかもしれない。
シンエヴァはエヴァンゲリオンという材料を利用した庵野さんの私小説的映画だと思った。同時にエヴァンゲリオンとしてのストーリーとしても成立していて、序破Qから一貫したストーリーとして正面から描ききったことは作家としての筋力を大いに感じた。これらが複合的に描かれていることは結果として庵野さんの感情を伝えることに大きく寄与していると思う。
中盤のシンジがヴィレに戻る決断をするところまでは素直に面白かった。それは、アスカの手厳しい励まし、綾波の感情獲得体験、そしてシンジの立ち直りすべてが、Qを作り終えてから庵野さんが実際に経験した体験であったり感情であろうということが伝わってきたからだった。キャラクターによってこれらの表現が支えられた部分はあると思うし、どんな作品も作者の人間性が反映されていないことはありえないと思うけど、それを差し引いても庵野さんのこの数年の人生が表現されているパートだと思った。
地上に居た時からアスカはケンスケに何故か気を許している様子だった。今までシンジの感情に最も強く反応してきたのはアスカで、今回もシンジに対して強い態度で臨んでおり、彼女がある種シンジのキーパーソンというのが今までの作品で一貫していた部分だったはずだけど今回は何やら様子が違う。蓋を開けてみればシンジとアスカはお互い「昔好きだった」と感情を開示するところまで気持ちの整理がついてしまった。急激な成長である。
これもキャラクターの進歩として捉えることはできるが、どちらかというと庵野さんが何らかの「昔好きだった」対象に対してふっきれたことが示唆されていると感じた。旧劇のラストからしてもそれくらいアスカに対して執着していたストーリーであったはずだし、今回こうやって綺麗に関係が精算されるのは、エヴァという作品の終わりとともに庵野秀明という人間が一歩前に進んだことを感じさせる。
その代わり、破Qから一気に立場を変えたキャラクターが真希波・マリ・イラストリアスだった。シンエヴァを見てあまりの立場の変わり方にびっくりした。Qまではどこか添え物的というか、何のために存在しているのかはっきりとは分からない人物だった。一応破ではシンジの決断を大きく後押しする働きをするけど、それはあくまでアスカがそれをできなかったから、というストーリー上の展開の結果だったように思う。それがシンエヴァでは一転して、シンジを救出する救世主になり、更にラストシーンでは駅のホームの対岸にいるレイ・カヲル、アスカとは違い、シンジと同じ側のホームに居る。更に更にシンジと手を繋いでホームの階段を登ってしまう。
こんな前向きな影響を及ぼすポジションになる気配はQまではなかったはずなのに、「どこに居ても必ず見つける」と発言するなどシンジに対して非常に積極的。もちろん過去作でもシンジのために行動はしているはずだけど、これらシンジに対する直接的アプローチは今まではアスカの役割だったはずだ。それがマリという、新劇場版から現れた新キャラクターによって行われる、これもまたエヴァの終わりと、庵野さんの人生がある点から一歩前に進んだことを表しているように思えたし、すごく思い切ったことをしているはずなのに違和感が全く無かった。
最初は見やすくしたエヴァンゲリオンを作るという程度の企画の方向性だったらしいけど、破で大きく方針が変わって新規ストーリーになり、Qを経て庵野さんが新しく取り組んだ話だということがとても伝わってきた。それはエヴァンゲリオンの新しい話というより、一連のエヴァンゲリオン作品、またそれを作っている最中に関わった人々に対する庵野さんなりの精算のための作品だったように思える。「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」というのは、シンエヴァの内容を表現しているものとも取れるし、エヴァンゲリオンというシリーズに対して庵野さんが放ったメッセージとも読み取れる。そのことからも庵野秀明という人物の人生を感じる、そんな作品だった。素晴らしい作品をありがとうございました。
(40m)